東京国分寺ロータリークラブ
多摩中グループ 国際ロータリー第2750地区

第2670回 例会報告(9月5日)

2023年9月11日

第2670回(9月5日)

会場:多摩信用金庫国分寺支店3階

司会:土井SAA委員

お客様紹介:岡田会長

○岩田 敏雄 様 (東京小平RC)

会長の時間:岡田会長


 本日の例会もイニシエーションスピーチということで、伊藤 誠太郎会員、大出 浩会員にお話をしていただきます。先週もお話させていただきましたが、仲間が仲間を知る良いきっかけとなります。是非、ご自身の人となりを大いに語っていただき、会員相互の交流のきっかけとなれば嬉しく思います。
 せっかくですので、私も便乗して、先週に引き続き、私の事をお話させていただきたいと思います。
 私は2018年1月9日の入会で、第2488回例会にて入会致しました。本日の例会が第2670回例会で入会例会が第2488回例会ですから、182回の例会を経験し、入会してから5年と6ヶ月で会長職を引き受けさせていただきました事になります。
 元々、父が当クラブの会員でもあったので、RCというものがどのようなものなのかという事も少しはわかっていたので、抵抗もありませんでした。
 私が入会する前の年の2017年10月に父が亡くなりました。その際に、父から自分がお世話になった方へ、しっかりとお返しを頼むと言われ、それが東京国分寺RCへと入会することが正解かどうかはわかりませんが、父が一生懸命活動し、大事に、大切に思っていた居場所を汚す事なく、しっかりと引き継いでいきたいと思い、入会させていただきました。
 父は生前、谷田会員のお父様や小椋パスト会長とよく3人で行動していたのを記憶されている会員の方も多いと思います。
 とりわけ、谷田会員のお父様とは、歳も同じで仲良く日本酒の熱燗を酌み交わし、毎週土曜日は電車で青梅ゴルフ倶楽部へ出向き、帰ってきてからも地元の焼鳥屋さんで飲んでいる姿が今でも思い浮かびます。
 そのお二人の姿や、街中で偶然お会いした時の様子を思い浮かべた時に、ロータリーソングの「それでこそロータリー」のフレーズを思い浮かべてしまいます。間違いなくあの年代の方々は、どこで会っても「やあ」と言うし、見かけた時には「おい」と呼んでいて、遠い時には手を振り合っていました。
 東京国分寺RCの一員となり、イニシエーションスピーチを聴き、その方の人となりを感じ、今後も交流を図ることができたならば、今いる会員の方々もそのような関係を目指していける、そんな関係性を築けるクラブでありたいと強く願って、本日の会長の時間とさせていただきます。

幹事報告:小林幹事


 本日の予定としまして、伊東誠太郎会員と大出浩会員によるイニシエーションスピーチを行います。楽しみにしております。よろしくお願いいたします。
 今後の9月の例会予定といたしまして、12日(火)はイニシエーションスピーチを土井満春会員、山下亜弥会員、野池博会員にて行います。19日(火)はRI規定祝日週といたしまして休会、26日(火)は新会員歓迎例会となっております。詳細は後日ご案内いたします。
 主な行事日程といたしまして、9月5日(火)に地区大会実行委員会がZOOMにて荒井会員が出席いたします。
 9月7日(木)の第91回多摩中グループ親睦ゴルフ大会に会長、幹事、飯沼会員、田中将太郎会員と参加いたします。
 9月10日(日)にはロータリー青少年交換プログラム2022-23清瀬茉莉さんの派遣生帰国報告会、2023-24派遣候補生清田舞さんの合格証授与式が、プラザ・アペアにて開催されます。岡田会長、萩原委員長、清水副幹事が出席いたします。
 9月19日(火)の第1回IM実行委員会に鈴木会員が出席いたします。
 9月20日(水)の2024-25年度第3回ガバナー補佐研修会に中村早苗会員が出席いたします。
 9月29日(金)に2024-25年度第1回常設委員会会議に中村早苗会員が出席いたします。
 9月のロータリーレートは146円です。

委員会報告

米山奨学・国際奉仕・クラブ特別基金委員会:照木委員長


 8月30日(木)、ロータリー財団委員会で打ち合わせを行いました。皆様の意識向上のため、今後どのように情報を発信するか検討しました。
 結論:委員全体で積極的に行動し、毎例会、委員3名が交代で報告します。次回の例会では財団室ニュース9月号を近藤副委員長が報告します。

戦略プロジェクト委員会:藤岡委員長


 2点ご報告いたします。
 国際ロータリー2750地区RYLA委員会委員を仰せつかっております。まだRYLAについてあまり理解いただいていない方もおら
れるかと思いますが、RYLAとはロータリー青少年指導者養成プログラムです。
 今年10月の初めに「RYLA2023」というイベントがあり、30名の募集に対して38名の応募がありました。本日15時から選考があります。当クラブからは田中一也会員の所属する日立製作所から1名、古川会員の所属する鉄道総合技術研究所から1名、国分寺市役所から3名申し込まれています。結果につきましては後日ご報告いたします。
 もう1点は、第一回戦略プロジェクト委員会を9月12日(火)の例会終了後に開催いたします。委員の方はお忘れなくご参加ください。

指名委員会:宍戸委員長


 指名委員会の選出についてご報告いたします。
 8月25日にパスト会長会を開催し、次々年度会長幹事を選出する指名委員を選出しました。委員7名、会長エレクト、副幹事の9名をもって指名委員会とさせていただきます。
 委員会メンバーは関口会員、髙橋会員、飯沼会員、馬場会員、照木会員、鳥居会員、宍戸会員、井口会長エレクト、清水副幹事です。
 本日のこの場をもって委員の選定に承認いただいた事とさせていただきます。

出席報告:田中将太郎委員長

会員数:43名 免除:3名 メーキャップ済:1名 欠席:5名 出席率:87.5%

ニコニコボックス:田中将太郎委員長


岡田会長・小林幹事:暑い日ももう少しです。頑張りましょう。本日は伊東誠太郎会員、大出浩会員のイニシエーションスピーチ楽しみにしています。宜しくお願いします。近藤会員:新しく入会された7人の皆様、おめでとうございます。早く会に馴染んでいただいて、ご一緒にロータリー・ライフを楽しみましょう。関口会員:先日は、誕生祝いの花券をいただきありがとうございました。女房も古希を迎える年となりました。あと何回いただけるのかなぁーと数えていました。おかげ様で居間にきれいな花を飾ることができたと喜んでおります。照木会員:8月31日(木)、3年ぶりに2019-20年度の会長、幹事同期会を開催しました。15名参加で旧交を温めました。ニコニコです。中村早苗会員:主人の誕生祝いのお花券ありがとうございます。還暦になりますのでニコニコです。

ニコニコ大賞:馬場会員

記念ニコニコ:(写真左より)中村早苗会員、池田会員、馬場会員、田中将太郎会員

イニシエーションスピーチ

・伊東 誠太郎 会員


 西国分寺駅の南口で司法書士をしている伊東誠太郎です。今回、私の人となりを知っていただく機会をいただきありがたく感じております。
 前半はふるさとについての話、後半は司法書士になるまでの話です。
 出身は大分県大分市です。10代の私には郷土愛の感覚がほとんどありませんでした。ただ、大方の人々も自分と同じような感覚で過ごしているのだと思っておりました。しかし、多くの出会いから、自分の感覚はちょっと特殊だぞ、と気づいていきました。
 大分市内には山を切り開いた大規模な住宅街がいくつもあります。私が育ったのも、そのような住宅街です。山が切り開かれ、1,000軒以上の戸建が一気に新築されました。私の子供時代には、歴史や伝統のあるもの(例えば神社やお寺、お祭りや行事)は、本当にいっさいありませんでした。もし私がふるさとを愛したいなと思っても、愛すべき対象が、その土地固有のものが、実は私のまわりにはなかったのです。
 さて、私が国分寺に関わりを持つに至った経緯を説明します。20代中ごろまで、若者らしく都会で生活していました。世田谷区ではとても買えなかったので、多摩地域をいろいろと訪ねて回り、国分寺界隈に住むことに決めました。自分で国分寺を選んだのだという感覚があって、愛着があります。17年前の出来事です。
 話は、私が司法書士になった経緯へと移ります。
 最初は映像関連のベンチャー企業で働きました。その後大手のコンサルティング会社に在籍しました。30歳にして、新しく取り組める仕事を比較検討し、司法書士を「これだ、これしかない!」と選びました。34歳で独立し、その結果、毎日大変楽しく過ごしております。
若かった頃に抱いていた故郷へ距離感が、愛する国分寺での地域活動を通じて、うまく消化できているように感じます。
 ご清聴ありがとうございました。

・大出 浩 会員


 1974年10月14日、あの長嶋茂雄が現役を引退した4日前の10月10日、東京都立川市に父・武夫、栃木県出身、母・多喜恵、広島県出身の長男として生まれました。
 私が生まれた家は台所と6畳ひと間しかない平屋でトイレは勿論、水洗ではありませんでした。
 その後、5歳の時に八王子にある都営団地に引っ越しました。ここで私の人生のキーマン父武夫のご紹介をさせていただきます。飲む・打つ・買う(買ったところは見ていませんがおそらく)3拍子揃った人でした。ただ口だけはうまく誰とでも色々なジョーダンや、その場に合ったつくり話をして意気投合できる、そんな人でした。
 こんな家庭なので目茶苦茶貧乏でした。いくつかエピソードを。給料日に父が帰ってこず翌日に帰宅。給料袋の中身がほぼ空っぽだったそうです。その日から1か月間平日は学校給食のみ、私の今の体からは想像できない体系でした。もう一つ、小学校6年生の時に1,500mで学校1位になり学校を代表して市内の陸上記録会に参加しました。なぜ中距離が速かったかわかりますか?それは自転車を買ってもらえず、いつも自転車で遊ぶ友達の後ろを走って追いかけていたからです。
 そんな大出家にも転機が訪れたのは1986年から始まるバブルです。誰が何をやっても儲かる時代の到来です。父も持ち前の話術で建築関係の社長さんに気に入られ、金もないのに1988年独立、とんとん拍子に会社は大きくなり、1991年には社員50人もの会社になっていました。当時の父からこんな話を聞いたのを覚えています。「1,000万円の仕事をやるといくら儲かると思う?500万だよ」と笑いながら言っていたのを覚えていますが、本当か噓かはわかりません。
 わたしの中学時代は部活と遊びの毎日でした。部活は野球部顧問の先生がめちゃくちゃ怖かった思い出しか残っていません。遊びの中でも土日に近所の上田君の家でやる家族麻雀にはまっていました。相手の癖や心理を読みながら打つ、その読みが当たった時の快感はたまらないものでした。
 高校時代は部活とバイトに明け暮れました。野球部の部活が終わるとすぐに居酒屋でバイト、それが終わると先輩のやっているバーで12時過ぎまで働く生活でした。何か目的があってバイトしたのではなく、ただ楽しくてやっていました。
 部活では、打つのは得意でしたがそれ以外がいま一つで、背番号は1桁と2桁をいったりきたりでした。あと一つ何かを頑張っていればレギュラーになれたのではないかと今は思っています。
 高校卒業後、建築関係専門学校に進みますが、専門時代は妻に出会った以外は暗黒すぎて素面では話せないので、飲んだ席でお話しします。
 無事専門学校を卒業して土木系の会社に就職します。1年半後、ここで父登場です。「がんになってしまい余命もって2年だから会社に戻ってきてくれないか」と言われ会社を辞め戻ると、がんは嘘、大きくしすぎた会社は管理ができず、番頭をやっていた人が約2/3の社員を連れて独立して会社はどうにもならない状況で、私は若い労働力として呼び戻されたのでした。その後父は20年以上生きました。
 そんな私の人生の大きな転機が2005年訪れます。それは、ある青年団体に入会したことです。色々な価値観のある人がいて、いい意味でも悪い意味でも手本になる人がいました。僕は、そこを動物園だと思いました。肉食、草食、夜行性、動かないなど様々な人がいました。そこである先輩からこんなことを言われたのを覚えています「ひとは生きているじゃない、生かされているんだよ」。それまでの私は、自分の周りの小さなコミュニティだけが幸せになれば、それでいいと思っていましたが、考えが一変しました。
 そして今、RCに入会しました。ここでもあと一つ何かを自分のものにできればよいなと思っています。
最後に自己紹介を。趣味は野球観戦、酒、ギャンブル、特技は料理です。これからよろしくお願いします。